四話・高校時代の番外編(パチンコ・パチスロ)
飛行機タイプのハネ物からパチンコのデビューを果たし、未だに打っているクズの見本であり見事に堕ちるとこまで堕ちたが不思議に後悔は無い。
80年代からのパチンコ必勝ガイドと週刊パチンカーを創刊号から買っていた私はヘビー読者になり、機種の解析に詳しくなりまたアツくもなっていた。
攻略法も色々試したが常に一歩遅かった…
1番ハマったのは何か?は愚問である、何故なら全て名機に値する台があったからだ。
一発台のタンブラーやキューピット、ビッグウェーブ辺りも以外に喰える台でもあった。
無論、不遇台もあった。パチスロ・デートライン銀河などは爆発力が凄まじく即、撤去の対象であった。リスキーダック、タッチダウン等の子会社も対象である。※滅茶苦茶に面白かったため即撤去に関しては非常に悲しかったのも事実である。
しかしアラジンやスーパープラネットは群を抜いて面白かった為に店も設定を入れざるおえなかった。
当時の新装開店等は学校を休んで、良く行ったのは覚えている。
激しい台取り合戦に加わった事もただある。
一度、凄まじい並びで開店と同時に正面の入り口のガラスが割れた事があるが、客は我関せずである。無論、私も狙い台に全力疾走である。
※割れたガラスは店がいけない。10分遅れの開店とかを平気でやっていたので安っぽいガラス等は割れて当然である。
とあるパチンコ屋で夕方18時開店から閉店までが約束であったが、あまりにも皆が出し過ぎて玉もコインも足りなくなったためにわずか2時間で閉店した事もあった。
私はその時にアラジンチャンス中であった。
通称、アラチャン。
激怒した私は店員に言ってやった。
『アラチャン、最後まで打たせて下さいよ💢今までいくら負けたと思ってんすか?おれの事は知ってるでしょ💢』
パンチパーマの店員は困った顔をしていたが
『仕方ねーな、お前だけだぞ』
私、1人だけが店に残りアラジンの集中を全て取りきったのである。
パンチが1人で残って、責任を取ってくれたのである。その時だけはお釈迦様に見えた瞬間でもあった。
結果、6枚交換だったが7万近く勝てた記憶がある、
良い時代であったのは間違いない。
※高校時代、まだ借金は無かったが多重債務者になる要素は100%であった。