博打との死闘

博打のヒリつきに狂い借金を重ねていく実話

八話・サンエーサンキューと田原成貴。

サンエーサンキュー事件の事を知ってる人も多いと思うが、私が田原に一目起き始めたのはこの事件からである。

 

詳細はウィキペディアとかで調べればすぐに分かるので端折るが、当時からサンスポとギャロップの愛読者であった私は毎日、この事件を新聞でチェックしていた。

 

サンスポの水戸記者(穴党)に対しては正直、残念であった。とにかくデタラメなのである(かなり偏った表現でサンエーサンキューについて書いていた、まるで田原が八百長するかのように)

 

田原は彼女(サンエーサンキュー)の状態が異常である事に気付き、調教師や馬主に訴える行為が出来た田原を褒めたい。結果的に彼女は残念だったが、それをメディアを通して声にした事は非常に意義があったと思う。

 

当時のリーディングでは。

東は岡部に柴田

西は豊に河内であった。

 

※田原は怪我をしていたために乗鞍も減らしていたのでリーディング表を見ても当時は上手いかは分からなかった。

 

そんな田原に光を浴びせたのがトーカイテイオーだと思う。

1992年の有馬記念、屈辱の11着から1年の空白を開けて1993年の有馬記念に臨んだトーカイテイオーと田原に松本調教師。

※松本はどうしても田原でと馬主に訴えた漢気がある調教師でもあった。

 

私は田原もトーカイテイオーも大好きであり、かつ復活を期待して単勝とビワとの馬連一点買いに財布の中身を全て託した。

 

テイオー程、惚れた馬は未だにいない。歩様から走り方まで素晴らしかった。

 

かつて、テイオーの父ルドルフから乗っていた名手・岡部が天皇賞でテイオーに乗った時に『地の果てまで走りそう』と言わしめた。

 

※負けず嫌いな豊は岡部の言葉を聞くと、すかさずマックイーンならば『天にまで昇る』と言いあったのは有名な話である。

 

1993年有馬記念

私は固唾を飲んでレースを見た。

心拍数が上がり、心臓の鼓動は激しい。

破裂寸前である。

 

ゲートを出ると

テイオーのスタートは良い!中段からビワをマークしているテイオーと田原がいた。

 

4コーナーを曲がり直線に入ると完全にビワをマークしているテイオーがいる。

 

ゴール前でビワに並びかけたテイオー

 

私は声の限界まで叫んだ!

『テイオー!田原ぁぁぁぁぁぁ!行けぇぇ!』

 

ゴール前50m、テイオーの意地でエリートのビワを抜いた。

 

アナウンス

『トーカイテイオーが来た!テイオーだテイオーだ!』

 

泣いた。本気で泣いた。

 

 

私は涙が止まらなかった。

 

ヒーローインタビューでの田原は

『チームが一丸となり、必死で、死にものぐるいで仕上げた、そんな背景を知っているのにガッツポーズ等してもしテイオーに何かあったら….大事に大事にキャンターを周りその時にテイオーありがとう、ありがとうと連呼しました』

 

私は今だにそのインタビューを見るだけで涙が出てしまう。

 

ありがとう、テイオー。

 

だからこそ私は田原成貴が大好きである。

(覚醒剤はダメだけど…)

 

ちなみに馬券はプラス13万になった記憶を忘れる事は無い。※勝ち金は返済に回さずいつものように散財しました。

 

借入件数1件

借入20万

毎月の返済4万

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