博打との死闘

博打のヒリつきに狂い借金を重ねていく実話

九話・時代は現金機からCR機へと変化する。

1993年に現金機が廃止されパッキーカードを購入しパチンコを打つ時代になった。

 

パッキーカードとは

1000円

3000円

5000円

10000円

4種類の中からカードを購入し打つ仕組みである。最初は実に面倒だったが、人は慣れるもの。

デジパチからCR機への移行と同時に西陣からとんでもないCR機が世に出たのである。

 

『CR花満開』

 

裏モノもビックリする程の超爆裂連チャン機であり、とにかく一撃で10万勝ちするような素敵な台であった。

しかし、デジパチ時代には無かった三段階式の設定があり、ハマり台などは1番低い設定だと死を覚悟しなければ打てなかった。

 

当時の私はパチンコ必勝ガイドを暗記するほど読んでいたため、休日は花満開を朝一から打つ事が日課であった。

 

私の住んでいた溝の口区域のパチンコ屋はざっと10件以上はある。換金率もバラバラで

2.5円〜等価まであった。

 

『まずは店選びが大事だな、等価はパスしよう、まず回らないし設定も酷い、とにかく前日の下調べが大事だな』

 

休日前の、仕事は必ず早めに帰宅した、何故なら下見が最重要だからだ。

 

私は10件近くの店をチェックした、やはり凄まじい出玉力を目の当たりにし、打ちたくてウズウズしていた。しかしそこは我慢しないと財布の実弾が無くなる恐れもある。

 

私が選んだ店は東横線沿いにある『ツバメ』にした。何故この店を選んだか、この店はたまに時短を残してくれたり、花満開に力を入れていたからだ。

 

花満開は散々、打ち倒した。

 

時には10万オーバーの勝ちもあれば7万負けの記録も覚えている。

 

※花満開が登場してから私は二枚目のカードに手を出していた。『セゾンカード』

長い期間、世話になったカードである。

 

その後に黄門ちゃま大工の源さん、ダイナマイト等、いずれも名機であるが、全て爆裂連チャン機なのである。

 

『ツバメ』で大工の源さんを打っている時である、連れ打ちをしていた先輩が今日は海イベがある『エース』が出ていると聞きつけ、2人でエースに向かう

 

『エースってぼった店じゃないっすか?』

先輩

『店長が変わったらしく、今は出してるみたいだよ』

 

エースに着くと、確かに出ている。

 

釘も悪くない、道釘も良く、こぼれも少ない、ならば止め打ちをしアタッカーに二個入れが出来れば勝てる。

 

『これは、全力で勝負ですね。』

先輩

『話してる暇は無い、じゃ』

と海の島に消えて行く先輩…

 

※当時の海は島数が多く台数は80台近くあったと思う。

 

数時間後

 

2人で2万近く勝った。勝った日は恒例の飲みという名の反省会をした。

 

飲んだあとに、帰り際『ツバメ』に寄り、私が打っていた源さんをチェックすると…

 

五万発オーバー中、まだ爆連中であった…

 

その光景をみた私の、顔は般若面であったのは間違いなかったはずた。

 

 

 

次回は『キューティーバニー』のとんでもないイベント編を、書きます。

 

借入件数2件

借入額30万

毎月の支払い45000円

 

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