博打との死闘

博打のヒリつきに狂い借金を重ねていく実話

三話・高校3年生、冬休みの激闘。

うちの爺さんの田舎は宮城県である。

その爺さんが家系図を見てみたいと、その道のプロに大枚をはたいて調べてもらい、一族の出身から始まる家系図を描かれた一冊の本が送られてきた。

 

それを私が目を通すうちに驚きを発見した。

なんと我が祖先は上杉家の家臣『花の慶次』でも知られている慶次の莫逆の友・直江兼続の家来であったらしい。

 

実に誇らしい。(真実か?)

※慶次との激闘編は必ず書きます。

 

高校3年の冬休みも相変わらずバイトに明け暮れた。日産の工場での流れ作業であるが日当12000円は魅力的であった。冬休みは基本的に短期なので12万近くは稼いだと思う。

 

当時はパチンコは低迷期でありパチスロブームであった。私は好んで、ワイルドキャッツやセブンボンバーの裏モノをよく叩いていた時期でもあった。

 

しかし、私は有馬に全てを賭すために5万だけは残していた。その理由はメジロマックイーンが買いたかったからだ。

 

5万を握りしめて横浜WINSに向かった、当時のWINSの周りはソープやストリップ劇場や露店でのデンスケ賭博にコーチ屋と悪の巣窟みたいな場所にあるのである。

 

露店の明らかに偽物であるロレックスの時計を販売している怪しい外人に声をかけられる。

 

『お兄さん、本物のロレックスよ、買っていかない?』

 

『…申し訳無いけど買いません』

と言い。素早く走り去ったのは言うまでも無い。

 

 

私はそれらを無視して、6R辺りから馬券を購入し始めた。※横浜WINSは500円以下は買えない

 

メインの有馬までに3万がすでに溶けていた。

私、独り言で…

『嗚呼、何で有馬の馬券を買いに来たのに3万も溶かしてんだよ!俺、死にたいの?アホ過ぎたわ』

 

『もはや、武豊しかいない。問題は相手探しだ、カリブやフジヤマ、うーん悩むなぁ』

 

周りのジジイ達の怒声や話し声にも耳を傾けていたが、そこは初志貫徹。

 

豊から馬連5点買い2万をブチ込み、レースを待った。

有馬記念レースのファンファーレが鳴り響く。

 

私の鼓動も『ドクン、ドクン』と張り裂けそうな体内音が耳に聞こえるほど興奮していた。

 

レースがスタートした、場内は騒がしい、

私も叫んでいた。

『タケ!マサト!頼む!来い!

おい、コラぁ!ユタカぁぁぁぁ!』

 

レース後

場内は阿鼻叫喚であった。

アナウンス

『なんと、ダイユウサクだ!ダイユウサクだ!』

 

私はその場から暫く動けなかった、放心状態が抜けた後に急に膝がガクガク震えた。

 

あれだけ働いた金が…

冬休みのバイト代が全て溶けてしまったのであった…

 

そこから先は覚えてない。

 

 

この時点ではまだ借金0です。

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